フランス留学時代の思い出

こんにちは、和希です。

現在はマルタ共和国で仕事をしていますが、学生時代にはフランスのパリで2年間の交換留学を経験したことがあります。
今回は、私が当時のパリでの生活の苦しかった思い出と楽しかった思い出を交えながら、ブログ記事を書いていきたいと思います。

現在パリ留学を考えている人の少しでも参考になるといいです!

そもそもなぜパリ留学を決めたかというと、フランス語にずっと興味があったからです。

幼少期に父の仕事の都合で、アメリカに数年間住んでいたことがあり、当時のインターナショナルスクールでフランス語圏の友人とも交流する機会がありました。

英語、日本語を主に勉強をしていましたが、いくつかの簡単な日常会話や単語を友人から教わっていました。もちろん全く流暢というレベルではありませんでしたが、小さいころはスポンジのように多くのことを吸収することができ、その当時に教わったフランス語はずっと忘れることはありませんでした。

日本に帰国した後も、英語とフランス語の勉強は時間があれば続けるようにしていました。

そこでようやく訪れたパリ留学の機会を手に入れることが出来たのです。パリ行きの飛行機に乗り込む際は夢と希望に溢れていました。

しかしながら、実際に現地の人とコミュニケーションを取ろうとすると、苦労の連続です。私の自身はすぐに打ち砕かれました。日本語とフランス語は発音が全く異なり、独特の舌や喉の使い方をします。うまく発音ができないと、現地の人は理解してくれません。

毎日、言葉の壁に直面し、コミュニケーションに苦労する日々が続きました。しかし、私は諦めずに頑張りました。常にフランス語の勉強に励み、フランス人の友人やクラスメートと積極的に交流するようにしました。

少しずつですが、フランス語が理解できるようになり、自信を持って会話できるようになりました。今では、交換留学時の友人たちともフランス語で連絡を取り合うことができるようになりました。

パリでの生活は、苦労の連続でもありました。新しい環境に順応することや、住居や生活費の問題に直面することもありました。日本で当たり前のことが、当たり前ではないのです。

コンビニはないので、お店が閉まる前にスーパーで買い物をしないと、週末に食べるものがなくなったり。キリスト教圏であるために、週末は営業しないお店も多く存在します。

また、公共交通機関はタイムスケジュール通りに来る方が珍しいといった具合です。5分10分の遅延では誰も騒ぎません。

最も印象に残っているのは、電車が全く来ず、駅で15分ほど待っていたら、従業員がストライキで今日はもう運航はしないということが起きた時です。その時もまだフランス語が流暢ではなかったので、アナウンスが流れてもすぐに理解ができず、周囲の人がプラットフォームを離れ始めたので、急いで状況を近くの人に確認してようやく理解ができました。

その後、バスを乗り継いで、1時間遅れで目的地に着くことができました。

最近ではアプリでストライキ情報を更新してくれるようになったようですが、私がパリにいたころはまだそこまで便利ではありませんでした。

このような慣れない困難に遭遇した際に一番大切なことは、周囲の誰かに助けを求める勇気を持つことです。言葉が流暢ではなくても、恐れずに話しかけることです。また、そういった羞恥心を取り払うことで、積極的にコミュニケーションを取ることができ、失敗の繰り返しで言語というものは上達するものだと思います。

しかし、もちろん、パリ留学は困難だけではありませんでした。

私はパリの美しい街並みや文化に魅了されました。街の中を散歩すると、歴史的な建物や美術館、カフェなど、魅力的なスポットが数多く存在していました。特に、セーヌ川沿いの散策は私のお気に入りでした。また、フランスの食文化も楽しむことができました。クロワッサンやクレープ、チーズ、ワインなど、おいしいフランス料理に舌鼓を打ちました。これらの楽しい思い出は、私の日々の生活を虹色に彩ってくれました。

私がパリで過ごした時間は、私の人生において最も貴重な経験の一つとなりました。困難な状況に立ち向かい、自分自身を成長させる機会となったからです。

異文化に触れ、新しい友人との出会い、言葉の壁を乗り越える喜び。それらの経験を通じて、私は自信を深め、新たな視野を開くことができました。

留学を頑張っている学生たちに対して、私からのアドバイスがあります。まず第一に、困難な状況に直面したときに諦めず、前向きな姿勢を持ち続けてください。言葉の壁や文化の違いは克服できるものです。努力と忍耐が必要ですが、自分自身の成長を感じることができると信じています。

 

また、当時の思い出など詳細は他の記事でも紹介できるように、ブログの更新をがんばっていきます☆